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浮気の心理

 世の中には浮気・不倫というものがある。非道徳でありながら決して消えない。むしろ男性の中には「生物学的にしかたがない」とか「したほうがいい」とほざく輩もいる。生物学をよく知らずに、局所的な又聞きだけ振りかざしてよくも言えたものだと、呆れてしまう。

 浮気の心理とはどういうものだろうか。浮気のきっかけとは何だろうか。

 浮気にも、流れ的にしかたない物とそうでないものがあるだろう。相手が自分を好きでなくなってしまった場合、弱い人間だと温かくしてくれる他者になびいてしまうのも、わからなくはない。だがそれとは別に、妙な博愛主義を持って、外見的に気に入った他人全てに近づく人も多くいる。

 頭が良くてちゃんと道をつくれるなら、まだいい。一番問題なのは、頭の悪い浮気・不倫である。

 妻子、夫子がいる身で、「ばれなきゃいいだろう」と思って浮気する。そしてそれが露見し、夫婦喧嘩を始める。「してない」と言い張る人もいれば、論題を他所に持って行ってとりあえず逆ギレする人もいる。「もうしません」と謝って同じ事を繰り返す人もいる。どれも思慮浅い。

 浮気される妻も夫もそんなに馬鹿ではない。家庭を維持したいならば、後ろめたいことはしないことだ。ひょんなことから子供が父の浮気を知り、母のためを思って隠していることもある。家族を侮るべからず。

 最後に1つ格言を記そう。

 「隠すのが下手な人、頭のいい伴侶や子を持つ人は、悪事をするな」

 余談。筆者が浮気をされたらどうするか。

 筆者はプライドの高い人間である。自分の力を注ぐに相応しい相手と見なせば、全力で相手の力になろうとする。だが相応しくなくなれば、途端に助力しなくなるだろう。浮気をする人間は、力を注ぐに値しない。

 筆者が最も近辺に置くのは、価値を見いだした人間だけである。話すに値する者、守るに値する者、甘えるに値する者――。自分の身ばかり憂いて優しさを持たぬ頭の悪い人間に、興味はない。

未来のために

 愚かな人間が増えている。自分を見られない人間が増えている。どうすれば良くなるだろうか。堕ちていく未来を、どうすれば変えられるだろうか。筆者がたどり着いたのは、ここだ。

 「子供に絵本を読んであげて」

 たくさんの絵本を、1冊でも多くの絵本を、子供に読み聞かせて欲しい。子供の就寝前に、一緒に布団に横たわって、一緒に本を眺めながら読んであげるのだ。本は子供の頭脳を刺激し、発達を促すだろう。

 たくさんの本を用意して欲しい。青い鳥文庫の本は小学生にぴったりだ。その中に、4コマ漫画と文章で解説する「ことわざ辞典」を1冊置いておくのも忘れずに。

 大人も若者も手遅れだ。だからこそ、新しい世代を良くしよう。何が今必要なのか、何が大切なのか、気づいてほしい。夫は妻をサポートして欲しい。妻は夫をサポートしてほしい。

 子供のために。日本の未来のために。

The Math Language

 日本語、英語、フランス語、ヒンドゥー語などの各国言語、CやJavaやBasicといったプログラミング言語、どれも人間が使う言葉だ。そして筆者は、Mathematical expression(数式)もLanguage(言語)だと思っている。

 数学は難しい。数え切れないほどの定理があり、書ききれないほどの証明がある。科学は天才達によって発展してきた。だが、数学を必要以上に恐れないで欲しい。数式も、日本語や英語と変わらない。あくまで言語の1つなのだ。特に物理学は、数学なくしては語れない。

 数学を学ぶ子供達よ、数式を読んで欲しい。数式には意味がある。単語に意味があるように、数式にも意味がある。考え方次第で、数学は近い存在となるだろう。

目標のない子供達

 現代、目標を持っていない子供が多いように見える。

 「どうせ死ぬのに」

 「つらいことばかりだ」

 「別に、何かやりたいと思わない」

 今の大人達の背中を見、そう育ってしまうのはしかたがないようにも思える。子供を他人に任せすぎている。大人が自己中心的な夢や快楽を追いすぎている。というより、〈大人が大人じゃない〉。

 生きるのはつらい。つらいことがたくさんある。死んでしまえば楽になれるのに――そう思ったことが、筆者にもある。でも、そう思っても、目標を見失ったことはなかった。

 目標のない子供達へ、1つだけ言葉を贈りたい。

 「なりたい人間(人格)を目指すべし」

 どんな崇高な存在にも、あなたの思い1つでなることができる。なりたい自分を思い描き、それを目指して欲しい。

 参考までに、筆者のなりたい自分を言っておこう。究極の先、それは「模範となる人間」――自分に厳しく他人に優しい人間だ。詳しくは、これにもっといろんな要素がくっつくのだが。

家庭のあり方

 筆者はいわゆる女性技術者である。女性技術者と言えば、ジェンダーフリー問題に最も近い存在であり、最も悩ましい立場だろう(とはいえ、残念ながら実際に悩んでいる女性は少ないようだが)。

 この記事を書くに至るきっかけは、とある女性技術者の講演を聴いたことだった。彼女は学部卒で見事研究職に就き、結婚・出産も経験した現役の技術者だ。電子ペーパーにまつわる技術的な話の後、女性技術者にまつわる話をしてくれた。

 彼女の1日の時間割を見た。6時起床で朝食・(子供の)夕食を用意し、1歳ほどであろう子供を保育園に預けてから出社する。退社は18時以降で、子供を迎えに行ってから帰ってすぐに食事をさせる。子供は21時には寝てしまうから、それ以降、夫婦の食事を作り、残った時間で特許や本を読むらしい。仕事量はかなり多いようで、出産前にしていたもの以上の量を、決められた時間でこなしているとのことだ。

 凄いと思う。真似できるかと問われれば、できないかもしれないと答える。しかし、わたしはそれ以前に、筆舌に尽くしがたい不安感を覚えてやまない。

 考えて欲しい。子供と親の触れ合う時間は、保育士と子供が触れ合う時間よりも遙かに短い。まだとても幼い子供なのに、そんな状況で、子供は親の愛情をしっかり感じ取れているのだろうか? 心のどこかに寂しさを抱えたまま生きていないだろうか? 道徳はしっかり備わっているのだろうか?

 彼女の能力は凄いと思う。凄く頑張れていると思う。でもそれは果たして、「いい母親」と一致するのだろうか。筆者には、それが疑問でならない。そしてこれを、中途半端なジェンダーフリーがもたらした欠陥だと判断する。

 彼女から切り離して、「共働きの家庭」を考えてみよう。

 社会的に、男性は「働いて当然」のような風潮がある(薄れつつあるが)。だから、男性は嫌でも働く。家庭を持てばなおさら、大抵が家族のために働く(給料の多くを私的に使う人もいるが)。

 女性はどうだろう? 共働きをする理由はなんだろう? 恐らく、大きく分けると2種類になる。「家庭を守るため」と「働きたいから」だ。

 夫の収入だけで生きられない家庭やワケありの家庭ならばしかたがない。だが、単純に「働きたいから」で働くのはどうだろうか。別に金銭面で困っているわけでもないのに働くというのは、いわば私欲のなせる業だろう。

 「ちゃんと家事もしてるんだからいいじゃないか!」そんな文句が来るかもしれない。確かに、立派だと思う。素晴らしいと思う。賞賛に値すると思う。しかし、思いを巡らせば、全てのしわ寄せは子供にいっているとわかるはずだ。

 筆者は何も、女性は家にいなければならない、と言っているわけではない。子供のことを安易に考えないで欲しい、と思っている。つまり、女性が働きに出るなら夫に主夫をしてもらうとか、子供と親の接する時間をもっと増やすようにはできないのか?と問うている。

 上で「中途半端なジェンダーフリー」と言ったのは、そこである。男性と(給料をもらう類の)仕事を双極子扱いする社会には、本当のジェンダーフリーなど訪れない。ただ、完全なジェンダーフリーを迎えたとしても、女性と男性の体は同じではない。子供は女性にしか産めないし、母乳を与えることができるのも女性だけだ。逆を言えば、出産期間中に働けるのは男性だけである。能力のある女性の能力を、むざむざ殺す必要はないが、日本の未来、子供達を思えば二兎を追っている場合ではない。

 この提言は、女性だけでなく男性にも平等に投げかけるものである。未来の暗雲を作り出しているのが自分達――大人だと言うことに、気づいて欲しい。今こそ「家庭のあり方」について、深く深く考え、話し合うべき時ではないだろうか。

■注記

 専業主婦(主夫)のいる家庭でも、教育面でダメダメな家は多くあるようなので、ワケなしの共働きだけを責めているのではない。結局は、全ての人の問題なのだ。

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