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括弧問題

 最近、ずっと考えていたことがある。会話文(とは限らないが)の文頭――括弧(かっこ)について、頭に1文字空けるか開けないかで相当迷っていた。

 近年の小説では、1文字空けないのが普通になっている。これは、物書きを志す者なら誰でも知っていることで、大抵の人はそうしている。わたしも今までそうしてきた。それが当たり前だった。しかし、今は違う。一文字空けないせいで小さな問題が生じていることを知った。その問題とは、やはり“括弧”である。

 どこに問題があるのだろうか。それは会話文を織り交ぜた文章の中にある。小説でもおなじみの会話文をカギ括弧でくくるという行為が、たった1字の空白を入れるか否かで問題を引き起こす。と書いてもわかりにくいだろうから、1つ例を挙げてみよう。

 例えば、

「暇だなぁ……」
 だるそうな声を上げ、ターディンは机の引き出
しから一枚の紙を取り出した。紙面に目を落とす。
「求む! 勇気ある人間」という文が、紙面一杯
に大きく書かれていた。

(「世に轟けアーベンター 第一話」より)

という文。この文章には2度カギ括弧が使われている。「暇だなあ……」という台詞と、「求む! 勇気ある人間」というキャッチコピーだ。これらの位置に注目して欲しい。どれも行の先頭に開き括弧が来ているとわかる。台詞の括弧は明らかにそれだけで1行1段落だ。では、キャッチコピーのほうはどうだろうか。そちらも1行で1段落になっているのだろうか。

 答は否である。キャッチコピーは前の文に対して段落が変わっているわけではない。1行文字数の関係で、こうなってしまっているのである。が、そんなことは書いた本人しかわからない。読み手は「改段している」と勘違いしてしまうだろう。

 そこで、市販の小説ではどうしているのかを調べてみた。出版社は上のような場合、括弧の余白を小さくすることによって「改段していない」ことを示していた。

 わたしは思った。そこまでして改段を表すのなら、段落頭の括弧を一文字さげて書けばいいじゃないか――と。

 この考えのもとで、最近は会話文の最初を一文字空けるようにしている。すると、なんだかすっきりしていて気持ちいい。ぜひ、他の作家方にもやってみて欲しいものだ。

スランプ対処法

 創作に携わる人なら、誰しも一度や二度はスランプになったことがあるんじゃないでしょうか? わたしもかつて一度、スランプになった経験があります。とは言っても、症状はきわめて軽かったのですが。

 スランプの対処法は、人それぞれあるでしょうね。では、それら一つとして、わたしの「スランプ対処法」をここに記します。

  1. 過去の自分の作品を読み直す。
  2. 他人の作品を批評する。
  3. 少しずつでいいから、毎日書き続ける。
  4. 「文章教室」などの書物を読みあさる。

 以上四つが、わたしには効果がありました。けど、あくまでも「わたしの場合」なので、他の方々に効くかどうかはわかりません。興味がありましたら、どれでもお試しください。

ファンタジーを思う

 「ファンタジー=剣と魔法」という概念を、いったい何人の人が抱いているだろうか。

 「剣と魔法を使ってこそファンタジー」などという考えは、とんでもない勘違いである。信じられないのであれば、「楽園」という小説を見て欲しい。有名な鈴木光司氏の作品だが、紛れもないファンタジーである。しかも、日本ファンタジーノベル大賞受賞作だ。ジュニア物のファンタジー小説なら、「邪鬼が来る」(電撃文庫)がいい例である。まあ確かに「剣と魔法」の世界もファンタジーだが、それは「異世界ファンタジー」と言い、ファンタジーの一種でしかない。

 では、ファンタジーの種類を述べてみよう。

 異世界ファンタジー、現代ファンタジー、古代ファンタジー、近未来ファンタジー、戦記ファンタジー、恐怖ファンタジー、推理ファンタジー……。「何でもファンタジーをつけりゃあいいってもんじゃない」とか思われるかもしれない。が、本当にこんな区分けができるのだ。わたしは常々、ファンタジーほど壮大なジャンルはない、と思っている。

 7歳から10歳にかけて最も親しんだ本たちがある。青い鳥文庫の「アラビアン・ナイト」と「アラビア物語」、「アトランティスの呪い」、「ジーキル博士とハイド氏」、「厳窟王」。厳窟王はともかくとして、それ以外はファンタジーと言える。他にも数え切れないくらい読んだが、思い起こせばファンタジーが大半を占めている。

 ほら。ここまで来れば、ファンタジーの多様性を理解できたのではないだろうか。ファンタジーほど幅広いジャンルはない。そう思えてこないだろうか。

 わたしはこのことを若年層に広めるため、わかりやすい文章で全てのファンタジーに挑戦していこうと思う。

恋愛小説への閃き

 恋愛小説というのは難しい。最近、心底そう思っている。単に、主人公に恋愛させればいいというものではない。重要なのはその「過程」なのだと、脳中でプロットを書きながら、ふと気づいた。

 わたしは恋愛小説という本を、実は読んだことがない。X文庫やホワイトハート文庫などに恋愛小説が多数あることは知っている。が、どうにも手に取る気にならなかった。

 オンライン恋愛作家たちは、こんなわたしが恋愛小説を書こうとしていると聞いて、どう思うだろうか? 書けるわけがない、などと思うだろうか?

 確かに、いきなり最高の作品は書けないかもしれない。だがよく考えると、わたしは「恋愛」のある作品を数多く読んでいるのだ。世にある小説で、恋愛のない作品など本当に少ないのだから……。

 だから、書けないとは思わない。きっと書ける。テーマを「恋愛」にして、その過程を大切にすれば、恋愛小説ができあがるだろう。

 これを読んで、皆様はどう思うだろうか?

時間という次元

 小学1年生のころ、わたしは友人にこう言った。

 「今喋ってることはね、こういってる間に思い出になってるんだよ」

 言っている意味がわかるだろうか? 当然、当時の友人はわからなかった。今思うと、こう解釈できる。

 「わたしが今喋ってる台詞は、わたしがこの台詞――例えば『今喋ってる台詞』という言葉は『この台詞』という言葉を言ったときには、すでに記憶の中だけのもの――つまり『過去』になってるんだよ」

 大きく見るなら、これは秒単位の過去の話をしているのだ。

 1999年7月。わたしの通っている大学の理学部長が、こんなことを言った。

 「僕の喋ってることは、君に聞こえたときには過去のものになってるんです」

 これは発言時刻、聞き取り時刻の、音速による差を述べているのだと思う。音速などは、実生活内で――かつ話し手と聞き手が近距離にいる場合、音速による時刻の差などは考える必要が全くないほど小さい。だが、差がないわけではない。教授が「発声」し終えなければ、聞き取れない――という点を考えても、ごくわずかながら差があり、そして過去・現在の世界が生まれるのだ。

 これが時間の次元である。

 時間は止まることなく進んでいる。過去をマイナスとするならば、プラスの方向へ。一直線に、ただただ伸びていく。果てはない。いや、もしかするとあるのかもしれないが、到底わたしの想像が及ばないところにある。無限大の世界だ。マイナスにもプラスにも無限大。「-∞ → +∞」。

 わたしはこの次元について、今で10数年間、考えている。まだ知らぬ部分が多い。一体いつ、完全に知ることができるのだろう。並行宇宙と呼ばれる、我々の時間と並行に並びながらも、進行方向が逆の次元。簡単な図で示すならば、

 こんな具合である。これはあくまで、我々の時間を基準とした図であるから、その辺りは注意して欲しい。

 何はともあれ、わたしが考えることはまだまだたくさんある。解明されるかわからないものを追い求め、「死」を迎えたときにはわかるであろうことを信じて……。

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